私は哲学対話を定期的に主催しており、その楽しさや意義を広く伝えたいと考えています。
哲学対話は「〇〇とは何か?」というテーマを設定し数人で共に考えていく対話です。この記事では苫野一徳「はじめての哲学的思考」 (ちくまプリマー新書)、西研「哲学は対話する: プラトン、フッサールの〈共通了解をつくる方法〉」 (筑摩選書) を参考にフッサール現象学の本質観取をもとにした哲学対話の方法を解説していきます。
■苫野一徳「初めての哲学的思考」紹介記事
本質観取とは?
本質観取とは意味や価値の本質を哲学的に洞察する手法です。現象学の開祖であるフッサールは本質観取を個人で行うことを前提としていたようですが、何人かで対話として本質観取を行うことでより深く普遍的な本質に近づくことができます。
哲学対話では「〇〇とは?」というテーマを設定します。テーマは大きく「事柄」、「感情」、「価値」に分けられます。このうち「感情」と「価値」は体験を内省しやすいため比較的容易ですが、「事柄」は実際に体験して確信に至ることが少ないため難易度は高くなります。
まず現象学の大前提として自らの体験に即して考えることが求められます。哲学対話においては、それぞれの参加者の体験をもとにして本質を考えていき、参加者全員が納得する答え(共通了解)を求めていきます。
問題意識を考える
対話を始める前にそのテーマに関する①問題意識を参加者全員で考えます。まずはそのテーマを挙げた人がなぜそのテーマを選んだのかを語り、その後全員に考えてもらいます。時間があれば発言してもらい問題意識を共有してもいいですが、各個人の中で考えるだけでも十分です。
ここでは「幸福とは?」というテーマを例に説明していきます。幸福というテーマであれば「どのように幸福になれるのか?」や「不幸からどうすれば抜け出せるのか?」といった「幸福」の本質を知った後でどう生かしていきたいのかを出し合います。
問題意識を出し合うことで本質観取を行う上でいくつかの観点を作ることができます。これは対話を進める上でも役に立っていきます。
具体的な事例を出し合う
いよいよ対話スタートですが、いきなり抽象的に幸福とは何かを考えてもなかなか発言は出てきません。出たとしても各個人の価値観や偏見によって偏った普遍性を持たない意見になることが多いです。
そこでまずは②具体的な事例を挙げていきます。日常生活の中で幸福を感じたときのことをそれぞれ話してもらいます。ファシリテーター(進行役)はそれぞれの事例に関してなぜ幸福を感じたのか、幸福を感じてどんな気分になったのかなどを適度に深掘っていくと対話が盛り上がります。
体験例だけでなく「幸福」という言葉がどのような文脈で使われるのかが多いのかを考えてもいいでしょう。政治家が「国民の幸福のために」という言葉をよく使うのも一つの事例になります。
共通する本質的なキーワードを抜き出す
ある程度事例が出揃ったら、③すべての事例に共通する言葉を抽出していきます。幸福を感じたどの事例もまず欲望があってそれを満足することが共通してそうです。
それを一つの文章で表すと「幸福とは欲望の満足である」と言えます。この時の注意点は全員が納得し、全ての事例に当てはまる本質を抜き出すことです。そのためには抽象化する力とそれを言語で表現する力が必要です。
本質定義を考える
これらのキーワードを加味し、「幸福」の④本質ど真ん中を射抜くような一文を考えます。それを本質定義と呼びます。ここでは差し当たり、「幸福とは欲望の満足である」と定義します。
問題意識に答える
このようにして本質を一つの文章で表現すると⑤最初の問題意識に答えやすくなります。幸福が欲望の満足であるなら、幸福になるためには満足のレベルを下げたり、欲望を違う方向に向けたり、自分の欲望を認識したりするという解決策があるかもしれません。
本質観取は具体例をたくさん挙げてそこから共通性を抽出する、いわゆる「帰納法」の手続きを行うことを求めているのではありません。そうではなく、さまざまな事例が「幸福」と呼ばれる理由(根拠)をつきつめて答えることが要求されています。
以上が本質観取の大まかな流れですが、さらに深めるための方法を解説していきます。
本質観取を豊かにするための4つの観点
類似概念との違いや関係
本質観取をしていると似たような概念と混同してしまうということがよくあります。幸福の事例として挙げたつもりがよくよく考えてみると単なる快感だったなど。そこで幸福と快感にどのような違いがあるのかを考えると、幸福の本質がより浮かび上がってきます。
本質契機(特徴)
本質契機とはその特徴がなければその概念が成り立たないという特徴です。「幸福」の場合は「ありがたさ」というのが本質契機です。幸福を感じるとき人は無意識的、意識的かかわらず何かに感謝しています。
イメージとしては、本質定義が本質ど真ん中、本質契機が本質の周辺という感じです。
本質類型
一つの概念を本質的な違いからいくつかに分類できる場合があります。幸福は此岸的幸福、彼岸的幸福、自我の脱中心化としての幸福に分類されます。分類分けされた場合でも各類型が本質定義を満たしている必要があります。
発生的本質
その概念がいつからどのように発生したのかを考えるのも本質を考える上で有意義です。小さいの頃は「楽しい」や「嬉しい」と感じても幸福を感じることはあまりないのではないでしょうか?どのような条件のもとに幸福という感情が発生するのかと考えることができます。
発生的本質は自己の内省だけで考えることができず、少なからず推測が入ってしまいます。つまり、これはあくまで仮説の域に留まってしまいます。考察する上で仮説が悪いというわけではありませんが、そこは留意しておく必要があります。
以上の4つの観点は全てのテーマで必ず必要というわけではありません。テーマに合わせて必要となる観点を見分けて使っていくと良いと思います。
本質観取をする上での注意点
辞書的な定義づけとの違い
辞書による定義はその概念を理解するために、別の概念を持ち出して説明しているに過ぎません。本質観取での定義は各人の内省からその概念の本質的な意味を表しています。
「本質なんてない」ことはない
対話をしていると「やっぱり人それぞれ考え方は違うから共通の本質なんてないのでは?」という意見が出てくることがあります。確かに「絶対正しい本質」を見つけることは不可能です。
しかし、私たちがその言葉を使い、ほとんど誤解なくその意図を理解できているということはその言葉の本質を無意識に理解できていることを意味します。ということは、その本質を誰もが(少なくとも哲学対話の参加者全員が)納得できる言葉で言語化することは不可能ではありません。
ここでさらに注意しなければならないのが、求めた本質は常に開かれている必要があります。もしそれに納得できないという人がいればその人も納得できる言葉に更新しなければなりません。
経験がなければ本質観取できない
本質観取は現象学にもとづいているため、その概念を確信した自らの経験を内省的に考える必要があります。ということは、その概念を経験していなければ本質観取をすることができません。例えば恋愛を経験したことがない小さな子供たちが恋愛の本質を考えるのは無理があります。
安心安全の場づくり
哲学対話を開く上で最も重要なのが安心安全の場づくりです。自分の考えを発言するのは勇気のいることです。どんな意見でもまずは承認するなどして、発言しやすい環境づくりを心がけましょう。
適切な規模と多様性
本質観取は一人や二人でもすることはできますが、多様な価値観に晒すことでより普遍的な本質を洞察することができます。目安としては6〜12人で性別、職業、年齢などがバラバラなのが理想です。
哲学対話(本質観取)をする意義
哲学対話をしていると、自分の価値観を再認識したり、他人の価値観を知ったりすることができます。
近年、不安定な社会情勢により価値観の違いによる対立が頻繁に起きています。自粛を守らない人やそれを過剰に非難する人などの身近な対立から、アメリカでの黒人差別問題による社会の分裂などの大きなものまでさまざまです。
哲学対話ではそのような価値観の違いを受け入れます。そしてその価値観の違いがなぜ起きているのかをその人の欲望まで遡って考えていきます。欲望の次元にまで遡ると他者の価値観を承認して受け入れるだけでなく、そこから生じる問題を解決することもできます。
私が主催する哲学対話には高校生から経営者、留学生までさまざまなバックグラウンドを持った方々に参加してもらっています。異なる属性の人たちは異なる価値観を持っているのが当たり前です。社会生活を営む上で異なる価値観の人々を承認し、共に歩んでいくことは必要不可欠です。哲学対話は価値観の違いを認め合い、その落とし所を見つける訓練になっていると感じています。
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