哲学対話「普通とは何か?」|どのように「普通」ができるのか?

対話レポート

「普通とは何か?」

皆さんにとっての普通はどのくらいのことを言いますか?

普通の基準は人や環境によって異なります。
先進国の「普通の暮らし」は途上国にとっての「贅沢な暮らし」です。

普段何気なく使っている「普通」の本質とは何か、それはどうやって決定されるのかを考えてみました。

哲学対話の手順についてはこちらの記事をご覧ください。

社員研修、学校教育に最適!— 本質思考を鍛える哲学対話のつくり方
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対話の流れ

“普通に”おいしい

今回の哲学対話の参加者は全員20代でした。

そのせいもあってか、事例ではいわゆる若者言葉と言われる「普通に」という事例が多く出されました。

普通においしい、普通にかわいい、普通に楽しい

これらの「普通に」は文脈によって意味が大きく変わります。

「普通においしい」を考えてみましょう。

「普通においしい」とはどのくらいおいしいのでしょうか。
“普通に”とわざわざ付けているので、もちろん “とても” おいしい訳ではありません。
かと言って、不味い訳でもない。その中間の完全な“普通”よりは少し上な感じがします。

これは、「一般的においしいと言われる範囲に入っている」というニュアンスになります。大多数の人がおいしいと感じるというくらいの評価です。

大多数」というのは普通を考える上で一つのキーワードになりそうです。

コミュニティ内の普通

「普通に」から離れて、別の事例を考えてみましょう。

私たちはよく、「常識」「当たり前」という意味に近い「普通」も使います。

「デザイン業界ではMacを使うのが普通」
「今の中学生は携帯を持っているのが普通」
「うちの会社は残業するのが普通」
といった事例が挙がりました。

先述した「普通に」と比べて、ある一定のコミュニティ内での大多数を強調しているニュアンスですね。
「普通に」の場合は、コミュニティを無意識的に広く捉えていると言えそうです。

ここで注意したいのが、大多数だと思っているのは主観的であることです。

本当にそれがコミュニティ内の多数を占めるとは限りませんが、“私”の主観は他のコミュニティの構成員の主観と共有しているという確信を持っています。これを「間主観的」といいます。

「常識」「当たり前」「平凡」との違いを考える

「普通」と似た概念に「常識」「当たり前」「平凡」があります。

この違いも考えてみました。

このうち「常識」は以前に本質観取で取り上げたことがあります。その時の結果は「常識とはある共同体内でメンバー全員が当然認識しているだろうという期待」です。
事例は食事マナーや交通規則、冠婚葬祭のルールなど、ルールやマナーなどが多く挙がりました。

「常識」が「普通」と異なるのは「すべき」という意味合いが強くなるということです。そのため、人に“常識的に”行動することを期待します。「当たり前」もこの意味合いが強そうです。

一方、「普通」には「すべき」というニュアンスはありません。単なる“大多数”だと主張しているだけです。

もう一つの類似概念である「平凡」を考えてみます。

事例で考えてみましょう。
「普通のサラリーマン」
「平凡なサラリーマン」
この二つの事例を見ると、何となく「平凡」の方がネガティブな印象です。この時の「平凡」は面白みのないという意味も含んでいるように思います。
一方で「普通」は、そのような評価は排除され、極めてプレーンな印象です。

この比較からわかるのは、「常識」「当たり前」「平凡」は少なからず意味や価値を含んでいるのに対して、「普通」という言葉自体はただ大多数という状態を表しているのにすぎないということです。

「普通」の発生的本質

ここまで「普通」という言葉の持つ意味について考えてきました。
では、「普通」はどのようにコミュニティ内で形成されるのでしょうか?

「普通」形成のプロセスは二通りあると考えました。

一つが既存の慣習からの形成。もう一つが大多数の能力からの形成です。

前者を「慣習的普通」と名付けました。先ほど例でも挙げた「デザイン業界ではMacが普通」「うちの会社は残業が普通」などが該当します。

後者は「期待的普通」です。間主観的な大多数の能力により期待が生まれ、それが「普通」になります。
例えば、あるコミュニティ内で大多数が英語が話せれば、英語を話せることが「普通」になります。また、学校のテストでクラスの平均点が90点であれば、その辺りの点数を取ることが「普通」になります。

今回の哲学対話では普通を「慣習的普通」「期待的普通」の二つの類型に分けてみましたが、まだ抜け漏れがあるような気もします。ここは今後も継続して考えていく点になりそうです。

まとめ

まとめると、普通とは「コミュニティ内の間主観的な大多数」であると定義できます。

また、普通には「慣習的普通」と「期待的普通」があり、他の類似概念に比べて、意味や価値が混入していないプレーンな意味合いです。

普通とは

今回のポイントは「コミュニティ内」と「間主観的」の部分でしょうか。あくまでその「普通」はあなたが所属しているコミュニティ内だけの「普通」です。しかもそれは主観的なものであり、確かなものではありません。

この二点を抑えておくことで、人に無闇に普通を強いたり、今までの普通に捉われたりすることがなくなるはずです。

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