「憂鬱とは何か?」
憂鬱って嫌な感情ですよね。
私もよく憂鬱さを感じて先延ばししてしまいます。
憂鬱の本質がわかっていれば、憂鬱さを感じたとき適切な対処ができるのではないか?と思い、哲学対話のテーマに設定してみました。
哲学対話の手順についてはこちらの記事をご覧ください。
対話の流れ
「憂鬱」と「億劫」の違い
憂鬱さを感じる事例はいくらでも出てきます。
「朝、仕事に行くためにベッドから出るとき」「lineの返信が溜まっているとき」「恋人に別れ話を告げなければいけないとき」「バイト先で辞めると伝えるとき」
こうして事例を出してみて疑問に思いました。憂鬱と億劫の違いはなんでしょう?
参考に辞書を調べてみました。
【憂鬱】うっとうしくて気持が晴々しないこと。気がふさぐこと。
【億劫】物事をするのに気が進まず、面倒くさい気持であること。
なるほど。憂鬱の方が二次的な感情のようです。
億劫さを感じたあとに憂鬱さを感じるということもあるかもしれません。
今回の対話では「億劫=いや+めんどう」ではないかと考えました。
過去の経験を考えると、億劫は「今はその気分ではない」程度の感情であるのに対し、憂鬱はさらにネガティブな感情だという印象です。
行為を行うまでの猶予期間
さらに抽象化して考えてみます。
憂鬱を感じるとき、人は何らかの行為をしなければならないと感じています。でも現状では行動していません。行動しながら憂鬱さを感じると言うのはあまり想像できませんね。
ということは、何らかのやりたくない行為をすることを猶予されている期間に感じるネガティブな感情であると言えそうです。
恋人に別れを告げなければいけないけど、告げなくてもなんとかなってしまう。
Lineの返信をしなければいけないけど、まだしなくてもなんとかなる。
「やらなければ!」と「まだいいや」の狭間に長い時間滞在してしまうため、「やらなければ!」のストレスを何度も繰り返し感じてしまう。
そしてそのストレスは猶予の期限が近くなるほど大きくなります。
それが憂鬱さを感じるときのあの嫌な感情の内実です。
猶予なくやりたくない行為をすぐにやらなければいけない場合は憂鬱さは感じません。ということは、先延ばしできることが憂鬱の契機となりそうです。
先延ばしできるけどいつかは必ずやらなければいけないというのがポイントですね。
まとめ
これまでの対話内容をまとめると、憂鬱とは「行為しないという選択肢があるが、行為することを選ばざるを得ない状況で感じる感情」となります。
この結論に従えば、先延ばししなければ憂鬱さを感じることはありません。
さらに対話中に憂鬱さを感じるときのネガティブな感情の正体は、先延ばしすることで増大するストレスだということもわかりました。
「とりあえず行動を始める。そうすればやる気は湧いてくる。」
この文句は先延ばしを防止する手段として自己啓発書でよく取り上げられます。
私はこれを読んでいつもこう思っていました。
「それはわかってるけど、そのとりあえずができない。」
哲学対話で同じような結論が出ましたが、自分たちで考えてこの結論に至るのと、本から伝えられるのとでは納得度が全く異なります。
これが哲学対話の魅力の一つです。結果だけ見ると自明に見えるような内容でも、自分たちで生み出してみると深く理解することができます。
コメント