「豊かさとは何か?」
経済が発展して、人々は豊かになったと言います。
その反面、経済が発展したからこそ、多忙を極めている現代人は本当に「豊か」と言えるかどうかは疑問です。
「物質的には豊かになったけど、精神的には貧しくなった」と感じることも多々あります。
ではその意味での「精神的な豊かさ」とはなんでしょう?
ほしい物を手に入れて、利便性を向上させることだけが豊かではないとしたら、どうすれば「精神的な豊かさ」を手に入れることができるのでしょうか。哲学対話で考えてみました。
哲学対話の手順についてはこちらの記事をご覧ください。
対話の流れ
あえて、わざわざ
まずは「豊かさ」の事例を集めます。「豊かさ」を経験した事例や、イメージするものを挙げて行きました。
「日本酒と料理にこだわること」
「毎朝コーヒーを手挽きで飲むこと」
「季節の香りや花の香りを楽しむこと」
たしかに、これらの事例は「豊かさ」を感じそうです。
なんだか余裕があって、日々を丁寧に楽しく生きてるようなイメージがあります。
そして共通するのは少しわかりにくいことであり、手間のかかることです。
あえて、わざわざ、わかりにくく手間をかけて行う行為に対して「豊か」というイメージを持ちます。
しかし手間をかければ何でも「豊か」というわけではありません。
例えば、東京から福岡まで飛行機に乗らず徒歩で移動することは、とても手間のかかることですが「豊か」というイメージにはなりません。それはむしろ「挑戦」という感じです。
「挑戦」的な手間に比べて、手間が「豊か」につながるものには、余裕や感性を感じられるという違いがあります。
手間をかけることが「豊かさ」の本質ではなく、「余裕」と「感性」が「豊かさ」の本質ということではないでしょうか。
余裕と感性
では、「余裕」と「感性」をさらに深く考えていきます。
「余裕」と「感性」はどのような因果関係になっているのでしょうか?
「花の香りを楽しむこと」を例にとって考えてみます。
花を楽しむことができるという「感性」が持っていなければ、花の香りを楽しむことはできません。
そして、多くの場合「感性」発揮することで「余裕」を生み出す、気づくことができます。
また、花を楽しむことができるという「感性」が持っていても、「余裕」がなければその「感性」を発揮することはできません。
つまり、私たちが豊かさを感じるとき、そこに「余裕」と「感性」を感じ、その二つが相互に作用し合っているといえるのではないでしょうか。
「余裕」「感性」を生み出すもの
豊かさに「余裕」と「感性」が必要だということがわかりました。
では豊かになるためには何が必要なのでしょうか?
「余裕」と「感性」それぞれについて考えてみました。
「余裕」を得るためには?
まずは「余裕」です。
「余裕」のために必要なものとして、すぐに思いつくのがお金です。お金は上手く使えば精神的にも時間的にも余裕を与えてくれます。
ただ気をつけなければならないのが、「お金がある」=「精神的に豊か」には直結しないということです。経済的には豊かでも心理的には豊かじゃない人は少なくありません。
あくまでお金は「余裕」をつくるための手段であるということを忘れてはいけません。お金自体が目的化してしまうと、「余裕」がなくなり、豊かさは得られません。
「感性」を得るためには?
「感性」という概念は捉えづらくて、「感性とは何か?」というテーマで哲学対話をしたいくらいです。ここでは差し当たり「感性」は「美しいものを美しいと感じることのできる心」や「楽しむことのできる心」としておきます。
子供の頃は純粋で素晴らしい「感性」を持っていても大人になり、世界を知るにつれ、それが廃れていくことがあります。
しかし、「感性を磨く」という言葉がある通り、後から磨き上げることもできます。
旅をしたり、芸術に触れたり、自然を楽しむことで「感性」は磨かれるといいます。
つまり、経験や教養を積むことは「感性」を向上させます。
そこで大事なのが「素直さ」だと思います。
経験や教養を積むにつれて「感性」が廃れていく人もいます。それは知ったつもりになっているからではないでしょうか?
そうではなく、経験や教養を積むことで「自分はまだ何も知らなかったんだ」と気づく。そうすることで、日々の生活の些細なことにも興味を持ち、美しいと感じられるのではないでしょうか?
まとめ
今回の哲学対話では、「豊かさとは余裕と感性が相互作用すること」と結論づけました。
今後もわかりにくいものの美しさ、楽しさに気づくことで豊かさを感じ、この定義をより練り上げていきたいです。
コメント